かまぼこの歴史
日本書紀の時代に神功皇后(一七〇年~二六九年)が、201年三韓外征の帰途、生田の杜(兵庫県)で蒲の茎先に魚のすり身を塗り付け焼いて食したのが始まりだという説があります。
1672年(寛文12年)に書かれたとされる「類聚雑要抄」という文献に、1115年(永久三年)に時の関白の祝宴の料理の膳のスケッチがあり、それを見ると「蒲の穂」に似た竹輪状のものが出されていました。
また、1528年の「宗五大草紙」(伊勢貞頼)や、1684年の「擁州府志」などの料理書に記されています。
1115年に因み11月15日が『蒲鉾の日』となっています。
江戸時代のかまぼこはハモ・タイ・コイ・スズキ・カレイ・ニベなどが原料として使われていたようです。
この頃のかまぼこは、原材料に各地の近海でとれる生鮮魚を使用した地方色豊かな高級水産加工品でした。
現在の代表的なものは、スケソウダラ・イトヨリダイ・白グチ・エソ・ハモ・トビウオ・アジ・タチウオ・ヒラメなどです。
また地方ごとに近海で獲れる魚を利用して、その土地独特のかまぼこをつくっています。
近年は、近海の漁獲量が減りアメリカ、タイ、インド、ベトナム等の外国産冷凍スリミが多く使われています。
かまぼこの製造工程
かまぼこのQ&A
「かまぼこ」が書物に現れたのは、室町時代の中ごろからです。
そのころの古い書物に 『かまぼこは蒲のほこに、にせたる物なり』 と書かれてあるところから、河原に育つ蒲の穂に似ているので、「かまぼこ」と言う名になったと言われています。
また、蒲の穂は鉾(ほこ)のような形だったことから、「蒲」と「鉾」がくっついて「がまほこ」となり、やがて「かまぼこ(蒲鉾)」と呼ばれるようになったと伝えられています。
かまぼこが板付きになったのは、安土桃山時代からとされています。
作るときに形を整えやすい、持ち運びに便利といった理由のほか、蒸したり冷したりするときに余分な水分を吸ってくれるので腐敗防止の効果があります。
江戸時代末期になると、蒸しかまぼこが登場します。
その頃の書物には『三都ともに杉板に魚肉を推し蒸す、けだし京阪にては蒸したるままをしらいたという、多くは蒸して後焼いて売る、江戸にては焼いて売ることこれ無く、皆蒸したるのみを売る』と書かれています。
かまぼこの飾り切り
かまぼこのまん中と左右に切り込みを入れます。
まん中の切れ込みに、上からと下から差し通します。
出来上がり!
刃先は固定したまま左右に動かしながら切りおろします。
出来上がり!
山の面を2/3きりいれし、真中にすこし切り込みを入れます。
穴の中に端を通してもとどおりにします。
出来上がり!
うす切り3枚は、ずらして並べ、土台用は真中を切っておきます。
端から巻いて土台に入れます。
出来上がり!
厚めに切った山のうしろを更にうすく切ります。(下はつなげたまま)
手前の山を2ミリ毎に切込みを入れます。
1つ置きに中に折り込んでいくと、出来上がり!
2ミリ幅に、たてと横から切り込みます。
1つずつ順に折り込んでいきます。つまようじを使うと便利です。
出来上がり!
・生食が一番です。
・11mm程度に切ったかまぼこが一番美味しく感じられます。
・おでん
かまぼこの健康機能性
- 痴呆の予防
- 脳血栓の予防
- 動脈硬化の予防
- 中性脂肪の減少
- 大腸癌抑制
- 糖尿病改善
- 免疫力強化
- 痛風時の最適食品
日本の平成25年度の食料自給率は、カロリーベースはで39%、生産額ベースは65%。そして私たちは年間5500万トンの食糧を輸入しながら、1800万トンも捨てています。
みなさんはウルグアイのムヒカ元大統領をご存知でしょうか。
2012年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの国際会議で有名な演説を行いました。
現在の消費社会、消費文化に対する警鐘です。彼は「80億の人類が同じ様に消費すると地球はどうなってしまうのでしょうか?」と問いかけました。「本当の幸せとは?」。人と人が幸せな関係を結ぶこと。子供を育てること。友人を持つこと。地球上に愛があること。消費する事、消費する為に働く事が幸せではありません。
昔の日本はみんなが食べられる分だけ、食料を作っていました。捨てる食料なんてありませんでした。
弊社は昔のように、みなさんに食べていただける分だけ、かまぼこを作る事を目指し、地球にやさしい、みなさんの幸せに貢献できる様、進んで行きたいと思います。